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date :2007年02月

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いまさらですが海坂藩

 「たそがれ清兵衛」 読了。

 藤沢周平作品、「用心棒日月抄」はけっこう好きですが、短編はあまり読んでいませんでした。
 何しろ人気なので、かえって敬遠していた感じはありますが、買ったままで読んでいなかった作品も何冊か有り、積読崩しで読んでいます。
 今回読んで、はまる・・・というほどではないのですが、ちょっと読みたくなりますねといった感じです。
 作品の作りが似ているので、安心して読めます。
 似ているのですが、そこに出てくる、際立っているわけではなくとも癖を持った人たちの生き様が、なかなかいいなとつい読んでしまいます。

 舞台はファンにはご存知の海坂藩。
 こんなにお家騒動があったら幕府に知れたらやばいだろうと思いますが、なぜか大丈夫な藩。
 家老の対立に巻き込まれ型で、いつのまにか誰かを討たなければいけなくなっていく主人公達。腕は立つのに、その腕で世の中を生きていこうとしない様や自分のささやかな生活を大切にする様子は好もしく感じます。
 自分の好きな作品の主人公は、けっこうこの手の人も多いようにも思えて、武蔵も好きだけど清兵衛もねという感じです。

 出てくる主人公の癖とも言える部分が、それぞれ題名になっていてあだ名として登場しています。それがうまい。さすが藤沢周平。また、その生き様が実は真摯であって良いのです。で、個人的にはその主人公の周りにいる女たちが好きです。人から軽んじられる夫の真の価値を知り、疑わない。ちょっとした会話の中に、意志を持って夫とともに生きている内儀達の強さが感じられて、いいなとしみじみ思います。

 本を読むのは、一日に10分程度の時間しか時間が取れません。でも、短編はありがたい。そのわずかな時間に自分の中の作品の世界を壊すことなく一作を読みきれることができるので。

 三月いっぱい忙しい日が続きます。本をゆっくり読むわけにはいきそうもないので、もうしばらくは短編を読む日が続きそうです。
 また、貧しくとも心根の暖かな海坂藩の人たちに、もうちょっと浸ってしまいたいと思います。
 なんて言いながら、でも、実は今読んでいるのは宮部みゆき「あかんべえ」。
 なんだ、短編でも海坂藩でもないじゃんと、自分ながら突っ込みをいれて、でも江戸の昔で心遊ばせて、春、花見の候まで行きたいと思います。



 
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テーマ:短編小説
ジャンル:小説・文学

車だって人が動かす

 車に乗っています。

 先日、細い路地を右折したら、反対側からも左折した車が来ました。通常だったら、互いに脇によってすれ違える道路です。ところが相手は大きく膨らんで対向車線にどんと居座るかのようにいます。仕方ないので、バックして、相手が頭をふれるようにしようとしたら、相手の運転者が手でさすんです。道沿いの家の駐車スペースを。そこに入れば大丈夫だろう、何やってんだよという表情で。だって、そこは人のお宅でしょ。やむなく片足乗せちゃうくらいなら仕方ないかとも思いますが、丸々車をのせる形となるんですよ。後ろから車が来たので、やむなくそうしてすれ違いました。
 でも、なんだか心がとげとげしています。当たり前のように人の敷地内まで道路のように考え、自分が対抗斜線を走っていることにお構いなしの無作法さに、釈然としないものがありました。

 偶然かそのような日だったのか、その夕方にスーパーの駐車場に車をとめて降りる支度をしていたら、ドンと音がします。軽い衝撃もありました。見ると隣の軽トラの運転手が開けたドアがぶつかった音でした。そちらを見ました。相手もこちらを見ました。でも、何の挨拶もなくそそくさと行ってしまいました。小さな傷ができていたので、ちょっと待って、その方が帰ってきたときに「ぶつかりましたけど・・・」と言ったら、「何いってんの。ぶつかったのはドアミラーにひじだよ。その傷、位置が微妙にずれているじゃん。」というようなことを言われ、再びそそくさと行ってしまいました。
 怒りはさしてないのが不思議でしたが、やはりなんだか釈然としません。

 帰り道、ずーーと考えていて、ああそうだと思いました。
自分は、やったことについて相手の心が欲しかったのだと気づきました。
「すみません。」とか「わるいね。」のようなちょっとした心があれば、「いいえ、お互い様。」みたいに返して、傷だって気にしないのに、自分が悪いんじゃないとか、知らん顔するとか、それが寂しかったのだと気がついたのです。

 生きるということやヒトではなく人でいることは、社会の中で行われることだと思うのです。社会は複数の人の集まりによって構成されます。そのときに、尊大な態度を良しとしたり、逃げ得のような人と作る社会の未来ってどんなものでしょう。かっこつけではなく、怒りよりは情けなさが勝り、寂しかったです。

 その翌日、タクシーに乗りました。
 行き先を告げると、「そっち方面は事故があって混んでいるんですが。」という答えが返ってきました。「どの道を使ってくださっても構いません。」と答えると、「わかりました。」と、すぐそばの道を左折しました。行き先は駅だったのですが、行くためには小さな川を越えなければいけません。タクシーは橋を渡ればすぐ駅というところに止まりました。
「ここでいいですか。橋を渡るとすぐなんで。」「結構です。ありがとう。」
実はタクシーが止まったのは行き止まりの道。戻るためには細い道をバックしなければなりません。そんなぎりぎりのところまで、急いでいる客のためにきてくれたのでした。料金は最低料金、時間はもしかしたら正規の道を使うよりずっと早かったかも。ありがたかったです。

 車をめぐった、些細な三つのことですが、それでも車を介してもそこにいるのは人なんだなと思うエピソードでした。

 人としてすれ違った人にさえ不快な思いをさせないように、(こびるということではなく)さわやかに生きるって、難しいのかもしれないけど、そうしていきたいなとしみじみ思った出来事でした。


テーマ:つぶやき
ジャンル:日記

「おんな」の裸体はどこまで見えた?

 行ってきました、劇団「虎のこ」公演
「おんな」  (オフィシャルホームページはこちら

 いいなぁ、舞台って。
面白かったです。台詞のテンポも役者の動きも、さすがと思うところが随所にあって、もう一回見たいという気になる作品になっていたと思います。

 以前、舞台装置の図をコーチに見せてもらったことがありました。
すごく綺麗なその図面を、でも舞台にすると大変そうで、どんな風になっているか興味津々。
 実際を見ると、ふーーん、こんな風になるんだと大道具、装置のすごさを実感しました。
 8枚の引き戸の使い方もなるほどなと思わせて、奥に奥にと四舞台が重なっているような感じで、舞台でありながら、カットをはさみこんでいくような手法の演出は面白かったです。
 一番奥は、最後の一場面のためのみ。桜の花びらが散る象徴的なシーンに開きます。綺麗でした。一場面のためだけの場って贅沢ですよね。

 今回、あれっと思ったのは香り。生なので、確かに匂いってのは感じられるのですが、今まで演出として匂いがっていうのは知らなかったので、今回の舞台で線香を上げるシーンで匂いがしてきたのはちょっとびっくり、新鮮でした。小屋だからこそ効く演出だなぁと思ったのですが、後で聞いたら、線香の束を袖で燃やしていて、袖は煙たかったらしい。お疲れ様です。
 火事のシーンでも煙が流れてきたし、舞台進行ってこうやって作っていくんだと、とても勉強させてもらいました。

 「虎のこ」の舞台は笑いが随所にあって面白いのですが、個人的に笑ったのは、後半、花魁吉野に惚れて人まであやめてしまった細工師に、情けをあげる場面。
 吉野の役は看板男優の吉川裕朋さんがやっているのですが、紗の障子の向こうで泣き崩れる細工師の前で、一枚一枚着物を脱いでいきます。(帯はシュルッと脱げて欲しかったけど)内掛けを脱ぎ、着物を脱ぎ、白い襦袢姿になります。勝手に話の流れからは、肩から落ちかけている着物をひきずって奥の間に消えるのかなと思ったので、白い襦袢の腰紐に手をかけたとき「おい、おい、おい」と思わず息を飲んでしまいました。
 で、おいおい泣く男の前で、男が襦袢を開いてどうよとばかりに裸体を見せる。よもや裸体とは思いませんが、でもおかしい。目の前に男の裸見ながら「きれいだなぁ」と泣く男の図。ここで笑わなくてどうするって感じでした。 聞けば、これは今日から入ったシーンらしい。舞台は生き物、日々進化しているんだと思いながら、美味しいシーンを見ることができてラッキーてなもんです。ご馳走様でした。

 カーテンコールの後にエピローグがあります。そこで生きる金魚屋の存在。話の後半からは台詞もないままに庭(?)に立って愛しい吉野を見つめる純な金魚屋が、ここに集約されたかのように存在が際立ち、ああ、伏線てのはこうやるのかとしみじみ学び、感じました。
 面白かったし、勉強になったし、サークルのみんなに見せたいなあと思いました。

 「虎のこ」にはファンクラブがあるらしい。アンケートで「入る」「入らない」に加えて「迷っている」というのがありました。迷っています。
それから、ファンクラブで「虎のこ」グッズを売ってくれるといいな。
ロゴ入りのトレーナーなんかあったら欲しいです。

 2時間10分の作品、飽きることなく見せてもらいました。
 いい夜になりました。

 さて、来週からは自分のサークル。
これ観ちゃったから、嫌でもモチベーションが上がります。
ビシバシと気合を入れてまいりましょう。
頑張れよ! お嬢さん方!!


テーマ:演劇
ジャンル:学問・文化・芸術

流行りは藤沢周平

「隠し剣 鬼の爪」を見ました。

 『たそがれ清兵衛』から2年、山田洋次監督が、再び藤沢周平の小説を映画化した作品で、原作は、隠し剣シリーズの「隠し剣鬼ノ爪」と、男女の愛を描いた短編「雪明かり」を組み合わせたものでした。
脚本は山田洋次・朝間義隆。主演は永瀬正敏。
けっこう好きです、永瀬正敏。で、結構期待したのですが、役者は良かったです。うまい役者って、こうやっていろいろな役でさらに育っていくんだなとも思えて、現代劇の役者達が時代劇をやっているという面でも、作品としてはそこそこかなと・・・。
 でも、これを映画館へ見にいくかと言われれば、答えは「?」ですね。
 なんだか見ていて、キャラが「たそがれ清兵衛」と重なりすぎ。松たか子は、うまかったし声がとても良かったんだけど、ともすれば宮沢りえか?と思うところも多々あってもったいないという感じもしました。(まあ、海坂藩、庄内弁だから仕方ないかとも思いますけど・・・)

 吉岡秀隆、小澤征悦など、結構いい役者が揃っていましたが、やっぱりここでもいいねと言うのは高島礼子。目がうまいですね。高島礼子は主人公よりこんな風に脇にいたほうが存在感があって全体を締めるよなとは夫の言葉。

 田畑智子、倍賞千恵子、田中邦衛も相変わらずのいい味ですが、緒形拳の悪役は今ひとつあくの強さが弱い感じがしてもったいない気がしました。あれではTVの時代劇のパターンの悪家老と何ら差がない感じです。もったいない。

 脚本なのか原作なのか、演出なのかカメラなのか、いずれにしても若手を使って似たような作品になっちゃねというのが正直な感想でした。
 TVで見るには良い作品でしたが。

 さて、最近倉本作品といい、山田洋次作品といい、焼き直し的な感じを受けるのは自分だけでしょうか。マンネリではないのですが、設定や表現にどこかで見たぞという感じがある。ファンとしては、落ち着いて観ていられる安心感もありますが、なんだか物足りなさもあります。
 さすが! すげぇーー! と思うような作品を見たいなあと思うのは贅沢なわがままでしょうかね。



テーマ:TVで見た映画
ジャンル:映画

  • category:TV

ジビエ、結構好き

 ブログペットのプチの日記がおかしくて可愛い。

 若い人とペット談義です。
「インコ、飼い始めました。」
「鳥かぁ、可愛いけど、鳥が喘息には一番駄目なんだよね。」
「自分は喘息だけど、一ヶ月飼っていたら慣れたらしくてもう大丈夫。」
「ホント? いいなぁ。」
「うちはだけどさ、おれが2歳のときからいるんだ。」
「そうしたら、君が子分でしょ。」
「そう、おれはそれほどではないけど、妹は完全に格下に見て言うことを全然きかない。」
「動物は、格付けするね。」
「うん、ってプライド高い。」
「前、漁師がイルカ飼ってたって。」
「うそっぽい。」
べるため?」
「わかんない。」

 さて、ペットは可愛い。
で、先日町で豚を連れて散歩している人を見かけました。綺麗なピンクの豚は、コートを着せられてハーネスつけて、微妙にでかい! 
 自分の職場の隣は養豚場です。(田舎なんです。)

 「おれ、絶対べるなんてヤダヨ。」
「でも東南アジアでは鳩をべるし、世界中の文化は簡単にそういいきってはいけないと思うよ。」
「えーー、でも可愛いし、かわいそう。」
「おまえ、豚だって鶏だって賢いし、可愛いだろ。なんでべてんだよ。」
とは違うよ。」

 ペットとの対象の線引きってどこでしょうね。
だって、街中で見た豚と、隣の養豚場の豚は差があるのでしょうか。

 「食べるって、何を意味するか考えないとね。」と言う言葉で、談義終了。
可愛いだけで対象を見ることが、もしかしたら一番傲慢な見方かも。

 ちなみに、ブログペットのプチはウサギで、かつて本物を飼ったこともありますが、料理のジビエは好き。・・・あれってウサギ肉だよね。

 食べることは命をいただくことだということだけは、忘れずにいようと思ったペットの話でした。


 なんだかよくわかりませんが、文字化けしています。
これで直るといいのですが。



 

 

テーマ:雑記
ジャンル:日記

「やさぐれてる」ってもう使われない?

 記事を朝書いています。
 昨日書いて、さぁアップだというところで、何を間違えたか消えちゃいました。悲しい。(涙

 昨日書いたのは言葉の話。

 娘が言います。
「私、学校で話してると笑われるんだよ。」
「なんで?」
「○○を念頭において考えたらって言ったら笑われた。よくある、そういうこと。」

 娘は母にクレームを言っているらしい。
 ああ、そうねと思います。

 自分は10代は暗くて友人がいない日々を過ごしていますので本が友達でした。当然、インプットされる言葉は熟語が多かったり漢語が多かったりして、文章語が中心になります。TVは見ましたが、本の時間のほうが多く、文字は音がないのでアクセントも怪しい。
 時々言われます。「漢字でしゃべらないで。」
 先日も同僚に「やさぐれている感じだよね。」と言ったら、「やさぐれている! 今時使わないだろ、その表現。」と言われました。
 仕方ないと自分のことは思っています。
 でも、日常的に接していると娘もその感じが移るんですね。お気の毒。
 
 でもでも、漢字って結構好きなんです。(書けるかと言われると困ることも多いけど)
 あのパーツを組み合わせる感覚はパズルみたいで、読めなくても意味がわかる、音を推理できるなんて優れものだと思います。
 表す意味も微妙なニュアンスを表現するときに有効な語が多いし、音としてもリズム感があって、漢語調になった文は結構力強い。平家物語なんて、漢語調のリズムは惚れ惚れしちゃいます。

 自分はコミュニケーション能力が低いと自覚しています。タメと若人がいうしゃべりはできますが、心を許してそのような言葉は使えていない。
 壁を作っているわけではないのですが、自分の言ったことはきちんと伝わっているかと言う不安が常にあって、よりきちんと伝えようと思うと多弁になり言葉を多用してしまいます。
 その結果のひとつとして、文章語を日常語の中に入れてしまうという状態ができてしまう。もしかしたら、これは自分のしゃべりの癖かも。

 娘は・・・自分で学んでスタイル作ってくださいねという感じです。
 別に使い方間違っていなければ、どこぞの公の場で喋る分には全然問題ない話し方が身についてよかったじゃんと、母は開き直りの姿勢です。

 和語も好きです。
 音が柔らかい。
 言葉が優しく染み込む感じがあります。

 こんな風に文を書いていると、言葉が自分にはね返ってきます。言葉を適切に使い、思いをきちんと伝えられるようになるといいなぁ・・・と切実に思います。
 人間一生発展途上、日々勉強ですね。
 言葉にも向かい合う心をもっていきたいと思います。



テーマ:ひとりごと
ジャンル:日記

そろそろ春

     大山に雲巻いて
     白き頂
     春を待つ


   向かいくる風
   押し返す力で
   春を受け止める


        古都に響く若き声に
        春が応えて
        風を吹かせる


               幸せは彼方にあるか
               空のアーチ目指して
               道は伸びゆく
       

テーマ:
ジャンル:小説・文学

信頼と裏切りはいたちごっこ

 わかったと返る言葉の頼りなさ
 裏切られることに慣れ
 笑顔は顔に張り付いていく

           うそではない 信じている
           思いは確かでも
           形にならぬ難しさ

テーマ:
ジャンル:小説・文学

こけるのは、滑りやすいから? トロイから?

 「プチ」、可愛いと思っていたら、昨日の日中はペットの横にハートのチョコがありました。見つけてすぐに娘に教えようとしたのですが、残念、お習字に行っていた娘に教えてあげられたときは、すでにチョコは消えていました。

 この「プチ」に「シチューパンは土地と同じくらいかっこいい」と日記に書いてもらっちゃいました。「土地と同じくらい」って・・・・何?

 昨日は春の嵐でした。
 嵐って結構好きです。
 風の力を感じると、地球や大気が生き物のような感じがして、ちょっとわくわくします。まあ、安全なところからの物言いと考えると、やや不遜な感じがしますが。

 で、道は雨で濡れていました。
 ええ、すべりましたとも。また転んじまったい・・。
 階段で見事に足を滑らせてしりもちをつきました。
特に外傷はなかったのですが、ここ一年、こんなことが多い。何なんですかね、このとろさは。
 ジャケットもズボンも汚れましたが、夫は「怪我がないならいいや。」
まあ、その通りですね。

 実は職場の外の舗装面はよく滑ります。
 しかも、はめ込んだレンガタイルはでこぼこで半ば浮いてがたがたしています。これって・・・といつも思います。
 見た目は綺麗ですが、車椅子でここを通ろうとすると足回りが引っかかります。誘導タイルはないので、視力の弱い方には何がなんだかわからない足元となります。
 職場は公共性の強いところなので、バリアフリーをうたったトイレ等を作ったりしていますが、基本的にそういった人に対する配慮は見られません。どうなんでしょうね。
 
 今、柳沢大臣の発言が問題になっています。
 その発言の是非を報道されている部分でのみ判断し、それを理由に審議拒否までする野党の政治センスのお粗末さは目を覆いたいものがありますが、政治家の発言の「健全」を、どう捕らえるかって、けっこう大きな問題であると思います。
 昔「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」といった日常的に使われている言葉に、身体障害の方が「我々には健全な精神はないってことですよね。」とコメントしていたのを、ショックを持って聞きました。
 「健全」て何?
 みんなどこかに不十分な、いびつな部分を抱えているんじゃないの?
 そこを認めていくことが「みんな違って、みんないい」(by 金子みすず)になるんじゃないの? 政治家こそが、自分基準で全てを考えてはいけないでしょうと思うのです。

 こけたのは、自分がトロイからですが、滑りやすい路面は決して弱者に優しくはないです。
 予算が残っているとは思いませんが、階段に滑り止めの何かをしてもらうように、こっそり長に言ってみようと思います。

 成功することを祈っててください。

テーマ:つぶやき
ジャンル:日記

今年のチョコは少ないぞ

 バレンタインです。

 職場の学生さん達は、不要物持込禁止の校則を何とかかいくぐってやろうと必死のご様子。
 夫の職場では、今年義理チョコ自粛だそうで、「もらうチョコは無いと思うよ。期待しないで。」と言われました。別に期待はしてないけどね。

 自分は、お中元と同じ感覚で、それほどかしこまらない相手に義理チョコをあげます。
 演劇のコーチは甘いものが駄目なので、酒に申し訳程度のチョコがついた、バレンタイン用の日本酒の小壜を差し上げました。
 職場の中では、呑み友達の方に小さなチョコを。
 はるか徳島から色々なものを送ってくれる3人衆には、ゴティバを差し上げました。甘いもの駄目な友人用にウイスキーの小壜を混ぜて発送しましたが、着くのは15日だって。
 夫には、毎年この頃に出るゴティバのおまけを娘が欲しがったので、外側は娘ということで、白いハートのポーチ入りのチョコを用意しました。早く、ポーチが欲しい娘は、13日の昨日から、まだあげないのを繰り返し、今日は14日じゃない!と母に一喝されました。

 チョコレート会社のたくらみにのってのバレンタイン。クリスマス同様のお祭り騒ぎの一環としては、まぁいいじゃんと思います。なんだか、目くじら立てて怒ってみたりうれいてみたりする人もいますが、それほどのこともないでしょと、もらったのあげたので騒ぎすぎなければ、楽しいイベントだよねとも思います。

 まぁ、今日一日泣いたり笑ったり、思い出に残る一日になったらいいですね。夫のチョコをご相伴しながらのウイスキーって、結構良かったんだけど、今年は自分があげたチョコを自分で味見しながら、今夜はワインかウイスキーで決まりだねと、朝も早くから飲む算段をしている自分って・・・。
 ちょっと反省して、美味しいお酒が呑めるよう、今日もお仕事頑張ります。



 

テーマ:バレンタイン
ジャンル:日記

庭は左巻き

 久々の休みで何をしたかといえば、お掃除と庭仕事でした。

 のびすぎた百日紅をやっと切ることができました。
 ガーデニングに不案内の自分は、剪定時が今ひとつ分からないので、結局、こんな時期に切ってしまいました。
でも、駐車場にのびていた枝をはらうことができたのでまぁいいかと。
 ついでに伸びすぎた雪柳の枝もはらいました。夫が芽がついているものですからもったいながって職場に少し持っていくそうです。花が咲くといいなぁ。
 で、冬枯れの芝生を刈りました。
 はさみでチョキチョキと、まるで頭を刈っているかのようです。ねている芝生を立たせて、切ります。右手にはさみを持って、攻め込むように動いていって、半分くらい終わったところで立ち上がって見たら、あれ、左巻き模様。
 そう、芝生は刈り方で方向性ができるんですね。
 忘れていました。
 ま、らしくていいかとチョキチョキ。完全ではありませんが、とりあえずOKの域まで刈り込みました。
 ゴルフをやる夫は、「まだ深いな。」
 「ラフだと思えばいいじゃん。」
 刈り込みはもう1回やらないと十分ではなさそうですが、誰に見せるわけでもないし、歩いていて足が草に埋もれないからいいかと、お気楽な自分。
 葡萄も、ゆすら梅も小さな芽をつけています。
 パセリが異様に増えていてびっくり。
 摘んで台所のコップにさしました。明日はパセリたっぷりのサラダです。
 
 たまに庭に出ると、自然の時の流れに気づかされて、はっとします。
 何にもしなくても、生きているものがある。
 確実に動いている時がある。
 自分も、そんなときの流れの中で小さな風景を作っているんだろうなと思うと、存在の小ささや時の中に埋もれてしまうひとつであることが、実はちょっと嬉しい。
なんだか、時や自然と同化して融けていくような気がして。
 誰に認められなくても、この小さな花のように、咲いて散って地に融ければいいかなんて思えます。

 もしも死んだら、火葬にはされたくないな、土葬で(風葬でもいいや)、腐って地に融け、いろいろな生物の小さなお腹を満たし新しい命となってよみがえりたいと、まじに思っています。
 そう思うと、死は、未練あるものであっても怖いものではなくなる気がします。

 いや、別に死にたいわけでもなく、厭世観が頭をもたげているのではないです。どちらかといえば、もっとゆっくり、ゆったり、何かに同化したいという思いを植物達からシンクロするように感じただけのことです。

 お掃除を終えたところで、今日の作業時間は終わってしまいました。
 雛人形を出すスペースを作って、おしまい。
 お雛様は、本日の午後出すことにします。

 待っていてね、お雛様。


 
 

テーマ:つぶやき
ジャンル:日記

名前は「プチ」

 ブログペット、つけました。

 動物は好きです。だから、本当は生き物を飼いたいとも思います。
 でも、喘息が出るので室内飼いができません。仕事で在宅時間が短いので、十分な世話もできません。だから、あきらめて我慢しています。
 ベランダや庭に猫が来ますが、マンションの中ではいい顔をされません。
とりあえず、追い払わないことを決めて、挨拶だけして見て見ぬふりをしています。(猫に挨拶って・・・)
 庭には鳥も来ます。目白が美しい。冬のふくらすずめも可愛い。ヒヨドリすらいいなと思える風景をくれます。ときどき、みかんやりんごを鳥用に枝に刺しておいておいたのですが、烏に枝ごともぎ取られたので、今はやめています。
 町並みには野良猫を見ます。結構多い。野良猫の存在は町内会で問題になっています。問題点は分かります。解決法も腹案がないわけではない。でも、感情論になっているのがとても嫌です。なので、傍観している状況です。えさはやりませんが、通り過ぎる猫や、駐車場で日向ぼっこしている猫に挨拶します。
 犬を飼っているお家は多いようで、いたる所で散歩をしている方を見ます。ときどき、犬の散歩か人の散歩か分からない様子もあって、(だって、犬は飼い主の腕の中でのんびりしているので)、まぁ、それはそれでほほえましいかと。散歩中の犬にも挨拶をします。たいていは知らないお家の方なのですが、犬に挨拶すると、その後のご主人への「おはようございます」も「こんにちは」もスムースに口にできて、なんだかありがたいです。

 娘がブログペットをつけたとき、いいなと思いました。でも、自分はタマゴッチも育てられなかったし、どうしようと思って躊躇していました。ペットのコメントは「ZZZZ・・・」というのも多かったので。
 だけど、ペットの日記が可愛い。「・・・・を読んだよ。・・・・なんだぁ。」みたいな日記。やられました。可愛い、可愛い、ほしい!
 で、ウサギを飼うことにしました。

 名前は「プチ」です。よろしくね。

 自分の命名のセンスって、ホント、情けないほどにない。
 一時、おもちゃ屋さんでバイトをしていたときにぬいぐるみにはまって、たくさんのぬいぐるみを購入し名付けました。名前をどうしようと考えた挙句、色から想像するお菓子の名前を並べました。「レモンカスタードパイ」「アップルパイ」「キャラメルプリン」「マロンタルト」・・・。なんだかケーキ屋さんの香りがしそうですね。
 我が家で飼ったウサギは、夫が命名。5月に家に来たので「メイ」。「トトロ」の世界と重なります。
 娘のキタキツネのぬいぐるみも、名前を付けてとせがまれてつけた名前は「北」を逆さに読んで「タキ」。もうお手軽もここまで来ると情けなさもきわまります。(でも、タキはその名でなじんで、今も当たり前にタキと呼ばれています。)
 街中で見かける猫には、みんな「ネコ」と呼びかけています。「猫」ではなく、名前としての「ネコ」です。これもお手軽すぎると、娘には不評。
 娘のブログペットは、アイススケート系でということらしく「つらら」です。音にすると結構可愛い。
 で、自分のは・・・?
 
 ちっさいものは、日本人なら「チビ」だろうと考えます。
 小学生のときに飼っていた犬は、「チビ」と名付けようとしたら母にお手軽だみたいに言われ、逆さにして「ビ」は音がちょっとというので「ピ」に換えて「ピチ」。
 gonzaemonさんのお父様に、なかなか良い顔をしていると誉めてもらったことが自慢の犬でした。
 同じでは芸がなさ過ぎということで、「チビ」をちょっとひねって「プチ」。
 センスがないのは同じでも、可愛いからいいかという感じです。

 早速、娘がメールをくれるといったのですが、何しろ自分のコンピューターは壊れたままで、メールが使えません。残念。

 とりあえず2月11日が誕生日のようで「めでたい」と日記にはあります。遊んであげてください。
 よろしくね。



 

テーマ:小さなしあわせ
ジャンル:日記

人生は自分デザイン

 なんだか、コメントの返事を書いていたら、ブログひとつ書くよりもたくさん言葉を並べていました。
 でも、意見交換や人の言葉を聞くという場をブログというメディアによって持てることはちょっと嬉しい、ちょっと幸せ。
 いつも、コメントをくださる方々には、本当に感謝します。

 さて、相変わらず仕事は忙しい。
 はっきり言って、遊びのお誘いもほとんど断って、仕事三昧。演劇サークルも、いわば仕事の中のひとつだし、図書館だってそうなので、人に言えばあきれられるほどの、一昔前の仕事人間のようです。

 「疲れたーー。」と言えば「好きでやってんでしょ。」と夫の返答?
 どうなんでしょと考えます。

 10代から20代は挫折の時代でした。
 なりたいものになる方向を持てない自分に苛立ち、自分が何ものであるか、なぜこんな中途半端な自分がいるのか、自分の存在意義も意味もないとさえ思いました。自分がそこにいることすら嫌だった日々。
 
 そんな中で、何になりたかったの?と振り返れば、一番最初にプロの仕事として志向したのはシナリオライターでした。
漫画への志向も、映画への志向も、小説への志向も、みな作品を作るという点ではシナリオライターへも思いの上にたったものであったような気がします。
 才能という限界が自覚できると、それでも関われることと考え、編集等の裏方へ志向の方向性は変わりました。
 さらに、それさえ難しいのなら、本に埋もれて仕事をしたいと思いました。
 でも、そういった方面へ進む機会はあったのに、そうはならなりませんでした。何らかの事情が絡んで、道は別の方向へ向かって伸びていきました。
 人生ってそんなものと、ちょっと諦念入った自嘲的な言い方をしながら、でも今の仕事もやりがいがないわけではなく、どちらかといえば、自分にあっている職種のような気もして、何かになることが大切なのではない、何かになるためのプロセスや、なりたいものになれなかったときの生き方こそが、自分にとって意味のあるものになることだと考え直し、とにかく誠実に真摯に生きていることに向かい合おうと考えてました。

 そうして年を重ねてきました。
 あれ? 
 不思議です。
 強く志向したわけではないのに、回りまわって、演劇と関わり、シナリオを書ける機会を持つようになり、本に埋もれた仕事をするようになっています。
 強く望んで、そうなってきたのではないです、決して。

 以前紹介した飯田史彦先生の著書で、自分の人生は生まれる前に自分でデザインしていると書かれたものがあります。人生における障害は、自身を昇華していくために自らが設定したものなのだと、どう生きるかが次の人生につながっていくと書かれています。(因果応報をうたった宗教ではありません。)
 そう考えると、人生の岐路で何かを選んだことも、その結果として一番最初になりたかったものややりたかったことから外れないラインに、今立っていることも、自分デザインの必然かもと思えます。そして、挫折は全て、今の自分の力になっていると思えることは、挫折すら必然だったのでは思います。
(飯田先生のホームページはこちら

 それでも、忙しさに文句を言い、後ろ向きに生きていたら、このチャンスはつかめず、今の忙しさもない代わりにやりたかったことに近づくこともなかったのではと思うと、前向きに頑張ることは意義があると、つくづく思います。

 昨日、演劇のコーチと飲んだときに、「自分のやりたいことをやっているんだから頑張るのは当たり前と、おれは考えるね。だから、こんなに頑張っているのにと言う奴の、出せていない結果は認めない。」といった内容の発言がありました。
 そうだよね、と思います。
 頑張っていることは評価します。
 でも、それが絶対ではないし、頑張っているから認めろは全く違う話です。やりたいことに頑張るのは当たり前。問題は自身が到達点をどこに設定して、どのようにそこに近づくかで、どこまでいけるかだと思うのです。

 10代の自分は、到達点は遥か高みにあり手なんか届きそうに思えなかった。頑張ることは、今の自分を裏切らないことでしかなく、とても到達点に行くためのこととも思えなかった。
 なのに、今はラインが見える。
 自分、すごいぞと思います。
 きちんと生きようとすると、ちゃんと人生の中で道はつながっていくんだと感謝に近い思いで振り返ることができます。

 さて、本日もお仕事お仕事。
チャンスの神様は前髪しかないそうで、すれ違うときにきちんとつかまないと駄目なのだそうです。
 一つ一つに丁寧に取り組むことで、きちんと神様の前髪をつかめるように、自分の頑張りをうそにしないために、頑張ってきます。



テーマ:いま想うこと
ジャンル:日記

「探偵物語」は好きだぁー―

 最近、男の子達が図書館へ来て、
「何か、おもしろい本なぁい?」と聞きます。
「どんな傾向がいいの?」
「推理小説、好きなんだよね。」
「では、古典から入んなさい。コナン・ドイルやクリスティー、エラリー・クイーンもいいよ。」
「誰それ?」
「・・・・・・・。」
推理小説好きって・・・・。ミステリーシリーズと銘打ったお子ちゃま向けの作品かい!?って、思わず突っ込んでしまいました。
結局、ドイルと横溝正史借りていきました。はまるといいね。

 シャーロキアンにはなれませんが、やっぱりいろいろなものを読んでもホームズにかえる傾向が自分にはあります。中学生に勧めるなら、入門書としてもそこからかなと思います。

 ところで自分はといえば、最近は新作へ目が行ってしまい、あまり推理小説というような作品を読まなくなってしまいました。というよりは、他の方面の作品を読むことが多くて、いろいろと積読状態なので手が回っていないといったほうが正しいかも。

 で、情けない控えめ探偵スタンリー・ヘイスティングス シリーズ14作目
「休暇はほしくない」 パーネル・ホール 作  読了。

 どうも最近の探偵さんは奥さんが強いらしい。スタンリーも妻アリスには勝てません。で、年中ぼやいている。もともと探偵といったって調査員というほうがあたっている仕事だし、事件や推理が好きなわけではないし、なのにいつのまにか事件に巻き込まれている。
 今回は、いつものおなじみのメンバーとは離れて、休暇で来た避暑地が舞台の事件です。
 ある意味、完全に自力で事件を解決して私立探偵の面目躍如です。
 でも、今回はミステリ好きにはちょっとたまらない、クリスティの香りがあちらこちらあることが嬉しい。
 いや、久々にクリスティ、読み直そうかなと思うほどにあっ、これはと一人にやけてしまいました。
 
 どうも、自分が好きな探偵役は颯爽と事件解決するタイプではないらしいし、ニヒルなハードボイルド系でもなく、一見派手ではないけど底に力を秘めているくせに、ちょっとコンプレックス強いみたいなタイプのようです。

 かなり前に行われていたフェアで読み始めたパーネル・ホール作品ですが、長くはまっているといえるかも。
 古典派の匂いを残すミステリとして、ちょっとお勧めです。

 ところで今回は、スタンリーの妻アリス絶賛のお料理のレシピがついてくるというおまけつきです。(作中にですよ。おまけつきの本ではありません。)確かに美味しそうです。複雑なレシピというわけではなさそうなので、どこかでチャレンジしたいと思います。いや、夫に渡してチャレンジしてもらったほうが確かかも。

 一冊で、多方面に楽しめた本でした。

テーマ:本の紹介
ジャンル:小説・文学

キューブリック出た!

 先日、帰宅したら夫がTVみていて、「すごいの、やってるよ。」と一言。

 モノリスが立ってました。
うわーーー、「2001年 宇宙の旅」だぁ。
キューブリック!

 結局観てしまいました。

 これ、観たくてわざわざ映画館へ行きました。なのに、全然分からなくて、アーサー・C・クラークの原作読みました。でも、やっぱりわからなーーい。
分からないけど目が離せなくなる、そんな感じです。

 わからないというのは適切な表現ではないかもしれない。自分の中で、きっちり言葉に表現できるような消化の仕方をしていないというのが近いかもしれません。

 今回、そうか、そうだよねと思ったのは、猿が道具を手に入れるところ。もちろん、空に投げ上げられたものが骨であることは印象的に覚えていました。その骨で壊すものが骨であることも覚えていたのですが、執拗に頭蓋骨へ攻撃を加えるのが、あぁと思ったところでした。だって、殺すだけでは不安なんだよね、相手が相手であることを形としてとどめないほどに壊していく。そこにあるのは、攻撃する相手を倒すだけで終わらない人の心が表されているような気がしました。

 宇宙の旅は、人が命を生まれる形になるまでの意識の旅であったりすると思うのですが、その解釈があたっているのかは・・・。

 あの書き割りみたいな宇宙で、ゆっくりとした動きでBGMだけの世界は絵としてもすごいなと思います。

 あぁ、分からないくせにまた浸ってしまった。

 ところで、キューブリックの特徴ある映像は時々怖い。一番怖いのは「シャイニング」の絵ですが、あの最初の車で山のホテルへ向かうシーンが、私は思わず空に飛んでいきそうな不安感を覚えて怖いです。
 そんなとこ見てるのは自分だけかな?

テーマ:TVで見た映画
ジャンル:映画

  • category:TV

鬼の霍乱?

 やばい。
 久々に風邪の予感です。頭が重く、背中が痛い。ちょっと熱が出そうです。

 去年の11月の悪夢がよみがえります。
吐き気が止まらなくて、でも休めなくてと、無理の中で無理やり治した体調が、ここに来てやばそう。

 いつも一番にやられるのどが、今年は調子がよいので油断したかも。
ちょっと、かすかな予感はあったので、酒の量は減らしていたのですが。
人相手の仕事をしている関係で休めません。(換わりの人はいないので)
うーーん、まずいけどドリンク剤を飲んで頑張りますか。

 皆様、お体気をつけてお過ごしくださいね。



 

テーマ:ひとりごと
ジャンル:日記

夢の中から

満ちる月のように
思いだけが満ちていく
昼の月のような頼りない姿の中で


 そこに渡る風は杏の匂いがするのだろうか
 山の緑は鮮烈な雪解けの水を飲んでいるのだろうか
 一枚の絵からもらう山国の春


     はっきりとそこにあったたった一つの星が
     探さないと見つからない星となる
     そこに見えるのは本当に在るからですか


 昔と笑ってみせる
 過ぎたことに思ってみる
 なのに鮮烈な記憶



テーマ:
ジャンル:小説・文学

老後の棲家

 昨日、飲んで帰ったら娘は豆をまかずに食べていました。
「なんでーー?」
「えー、掃除面倒じゃん。」
いいのでしょうか、ニッポンの風習がこんなで。と言いながら、どうも節分は忘れがちな行事になっています。ちょっと反省。

 いずれにしても、今日から立春。
いよいよ、春ですね。

 さて、昨日の飲み会で老後住みたい所の話になりました。自分を除くみんなは「沖縄!」
南の青い海、青い島、底抜けに明るく気のいい隣人、飲んで帰って路上に寝ても平気なほどの陽気、憧れはあります。
 でも、そそられるけど駄目なんです。自分の気持ちは北へ行ってしまう。
 体質的に暑いのが駄目というのもあります。汗をかきにくいので、すぐに熱がこもってばててしまうのです。クーラーのような人工の冷気も苦手。南国リゾートもそそられますが、ぜひという気にはなりません。

 憧れは北の大地です。北海道もあこがれますが、昔は穂高に住みたかった。鮮烈な水、高く険しい山、春の訪れが嬉しい土地、囲炉裏端で飲み交わす酒、そんなものが憧れです。

 海のそばで育ったので、山は憧れでした。でもいざ海のない土地で暮らすとなったときは不安で不安でたまりませんでした。結果、川があれば平気らしい。心は流れる水を欲しているらしいです。

 キャンプも山側へ山側へと行っていたような気がする。
中央高速をよく使うようになってからは、穂高よりは都心に近い八ヶ岳に住みたいねと夫と話したものです。

 実は、欲張りなので遠くに移住しなくてもいいんです。
憧れは、伊豆か箱根。
海に近くて、都心に近くて、神々に近くて、温泉までついて、海も山もすぐそばにある。地震の心配さえなければ最高です。

 そう、伊丹監督の「お葬式」の舞台の家なんて最高!と思います。

 家は、平屋か中2階のある古い家がいいな。(新しくてもよいのですが、床が高くて、縁側があって、ふすま取っ払って大きな一部屋になるような造りの家!)
 できれば囲炉裏か薪ストーブ。夏は風の通り道の窓を開け放して、遠く塩の香を含んだ緑の風が吹き抜ける。
 やや大きな納戸に、余計な家具は入れてしまい、半地下の書庫に本を片付け、縁側には籐のカウチがあって、さして物のない畳の部屋で寝転びながら本を読む・・・。
 冬は囲炉裏を囲んで、練れたお湯で割った焼酎をのみ、なべをつつき、霜のおりた庭先に小さな花の蕾を見つけて、「春だな」なんて浸ってみる。氷や雪の溶けた泥んこの道から、立ち上る春の暖かさを知る。
 小さな畑を持って、ほんの少しの野菜を虫達と分け合いながら育て、家には実のなる木々を植え、ちょっとすっぱめのその実を食べては季節をいただく。
 晴耕雨読の生活。いや、本当は晴読雨読の日々。すこーーし働いて、飲んで読んで、好きなことを日記のようにどこかに書き留めて、ゆっくりゆっくり時間を過ごしていく。
 うっとり。

 あぁ、また妄想が入ってしまった。
 この休みのない日々の中では、そんなのは夢のまた夢。
 分かっているけど、思いはどこかでそうなる自分を待っているような気がします。

 なるといいなぁ、現実に。
 そうしたら、南に住むみんな、北の我が家に呑みに来てね。こちらも年に何回か酒持って行きます。そんな付き合い方もいいよね。

 あっ、箱根や伊豆は北とは言えないですね。
 まあ、妄想です。考えるだけでも楽しかったよ。

テーマ:戯言
ジャンル:日記

ウルトラマンでも救えない

 前に仕事関係で、いろいろな親子関係を見ると書きましたが、ここのところそんな機会がすごく多くなって・・・・・

 仕事上の内容も多いので、細かいことはかけないのですが、共通して言えることで、ものすごく腹を立て、なおかつ心配なのは親が変ということと子どもがまるで親のその負債の債権のように扱われていることです。

 「鬱」が「心の風邪」と言われて久しい。
それは、全くそうだと思い、「鬱」であることは問題ではないと思うのです。でも、世の中は相変わらずそうではないらしい。明らかにそういう傾向が見られる親が、子どもを相手に、自分の気持ちが止められないままに、自分を責める代わりに子どもを責めます。こんなにいい子が何でと言うほどに、責めます。
挙句「もう学校へ行かなくていい。」とか「外に出るな。」とか「友達を遊ぶな。」とか。
自分の手元において、上手く行かない苛立ちの発散の対象として子どもを扱う。
なのに、判で押したように子ども達は、涙ぼろぼろこぼしながら、「怒られるのは自分が悪いから。」「親の言うことは間違っていない。そうできない自分がいけない。」「怒られても仕方ない。」と言います。
 自分が腹を立てている大人は、実は怒っている「鬱」傾向を見せる親ではなく、そのそばにいるもう一人の親です。パートナーの異変に気づいているのに、病院に行こうの一言がいえない、果てには「あいつは変なんです。」と相手を決め付けてそのまま。そして、変だけど今は子どもに上手くやってもらって嵐が去るのを待ちたいとさえ言う。
 「鬱」は薬で緩和できる病気です。カウンセリングで、本人だって救われます。なのに、「変」の一言で片付け、矢面に子どもを立たせていることの危うさに気づかない。
 
 大人が変です。本当に。

 かわいそうの一言では、子どもは救われない。
でも、所詮は自分達は他人で、家庭にづかづか入り込むなんて出来ない。

 無力です。悔しいほどに。

 家庭の事情はそれぞれだし、そうなる親達も何らかの問題をその生育暦の中で抱えている。
 いったい誰が、誰を抱きしめて、その荒ぶる心を癒してあげることが出来るのでしょう。

 本心を言えば、そうしか表現できない大人達も哀れで切ない。一番切ないのは、やっていることに問題はあっても、そこに悪人がいないことです。正義のヒーローが、エイヤッてやっつけて終わりにはならない。

 社会が悪いと言うのは簡単。でも、違うんです、求めているものは、悪いのは誰かではなく、どうしたらこの状態を快方へ向かわせることが出来るかです。

 無力な自分は、親にも子にも、愚痴でもなんでも聞きますよと言うことしか出来ません。泣いている相手の頭をなでて「悪くない、あなたは悪くない。」と言ってあげることしか出来ません。

 悲しいよりは、寂しい。上手くつながれない人間の心の叫びが心に響いてきて痛い。

 せめて、泣いている姿をきちんと見つけてあげられるよう、頑張りたいと思います。

テーマ:最近気になる事
ジャンル:日記

寒天ダイエットだって危険はあったよ

 「発掘!あるある大事典Ⅱ」の納豆、新聞紙面を騒がせています。
 データの捏造もあったようで、情報リテラシーの必要性が実感されました。

 このデータって、結構曲者ですね。
 毎朝、車でラジオを聞きながら通勤しています。その番組の中で、時間を限定して質問を行い、電話をかけてもらって、YES・NOが何%という調査をします。質問は、そのとき話題の内容関連で、限定されている時間は短くしかも朝の時間で、その番組を聞く傾向をもち、積極的に意思表示をしたい方からの、母体数の多くない答えとなっているはずですが、そこで得られたデータで、その局は一日中、自局の調査結果として、その%を世の中の傾向をあらわすものとしてニュース等で使っているのです。
 これって妥当なデータ? 本当に世の中の傾向って言えるの?
 フジテレビの人気番組「トリビアの泉」では、アンケートは何人以上でないと有効なデータとはいえないという専門家の意見に従って、「トリビアの種」の実験データをとっていたのに、変な話です。
 
 実は今のは、ニッポン放送の話ですが、TBSでも似たような事が見られました。
 自分としては、よくニュースで使う街中の人にインタビューというのも疑うことがあります。これも、意見の多面的な意見の放送になっているのかといつも疑います。(野沢 尚 作「破線のマリス」を読むとなおさらに思います。)
編集者の意図で、微妙に変わってないかな?

 以前、数学の先生希望の若い人が怒っていました。
南米のある国の調査として、コーヒーを飲むと頭が良くなるという結果がどこかにあったそうです。でも、そこは貧しい国で、コーヒーを飲むことが贅沢な国の中で行われた調査なので、それはコーヒーを飲める家の子どもは、学習環境を与えられているとも読めるアンケート調査だともいえるのです。なのに、因果関係をはっきりさせないままに、A=Bの図式をデータ結果として読めると公表する。そんな読み方は違っていると、数学としては変だと言わざるを得ないと言うのです。
 「朝ご飯を食べる子ほど、頭が良い」と言うのも気をつけないと同様のことが言えると思います。結局、朝ご飯を食べられる生活環境や子どもに対する生活リズムをきちんと持てる家は、学習に対しても環境設定をきちんとしているとか、朝ご飯を食べてから登校できる時間に起きれるということは、身体の活動リズムや体内時計が、学習時間に動くように出来るという、複合的な読みが出来ると思うからです。(朝ご飯は大事です。それは全く疑わないのですが・・・)
 数学の先生になりたい方は、無事採用試験に合格して今は先生をしています。数学の授業の中で、データの読み方、きちんと教えているんだろうなと思います。

 「温故知新」の「温」は、繰り返し考え深く理解することを意味しますが、数値に躍らされないためには、この熟語の姿勢も必要ですね。
 新しく教育に求められる「情報との付き合い方を学ぶ」必要性を痛感するこのごろです。

 ところで、ピーターラビットの絵本には、レタスを食べると眠くなるという表記があり、マクレガーさんの畑でレタスを食べたピーターは眠くなり、危うくつかまりそうになるという話があります。お腹いっぱいだったから眠くなったのか、レタスの催眠成分はウサギには有効なのか、どうなのでしょうね。ちょっと実験してみたいとそそられてしまいました。(ウサギは迷惑?)


 
 

テーマ:マスコミ報道検証
ジャンル:ニュース

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