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category :教育

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今年も自分に出来ることを考え、始めます

 暑い日が続いています。
 庭の草刈りをしなくてはと思いつつも、朝4時半には起きているのに体が動かない。
 もう少し涼しくなったらと、自分に言い訳しています。

 さて戦後七十年、8月15日をむかえ、TVでは特集の花盛りです。
 今年は特に特攻隊と語り部の高齢化による実感の風化への憂いみたいな面が強調されている気がします。

 で、自分も考えました。自分に出来ることは何か。


 職業柄、若人達との接点が多い自分ですので、リテラシーを教える時に「考える」ことに重点を置きます。
 その際に新聞記事を使います。
 「ここに書かれていることに確かな、客観的なことか」
 反対意見を持たせることを目標とせず、観る目を持つこと、引っかかりを意識すること、何をどのように調べれば良いのかということを目指します。
 これをきっちり行うと他の単元が出来なくなりますので、調べる内容を考えるまで行い、後は自由課題にします。

 月に一つのテーマで取り組むのですが、素直というか単純というか、一つの記事を読むとリテラシーへ進むことなく、単なる感想で事をまとめようとする者のいかに多いかにあ然とします。

 その感想も「早く○○な世の中になってほしいです」でまとめる。
  
 感想は大事です。
 でも、それは事実を見極めてのうえでの感想です。
 しかもГなってほしい。」って、お前は何をするのかって、ちょっと腹が立ちます。

 別に自分がそれを変えるとかを望んでいるわけではありません。
 でも今生きている一人として、もっと考えて、これからの世の中にどう関わっていくかを思い描いて欲しいのです。
 戦後の平和を当たり前と受け取らず、考える一歩を踏み出すきっかけを与えたいと思います。


 秋からの取り組みでは、一つのテーマを各新聞がどのように報じているかを提示して、再度リテラシーへのチャレンジを行い、戦争と平和への考え方の一つを提示するつもりです。

 
 もう一つ、歴史の教科書では数字で語られる命を、個々の人生で語られるものへと意識を変換させたいと思っています。

 人間が地上に国を作って以来、戦いのない時はないと言えます。
 でも、日本は江戸時代と大戦後の七十年間に、その時間を持っています。
 いつの時も、国を憂い、未来を夢みて前線へ出ていく者がいます。
 それをつぶれそうな心で見送る人がいます。
 皆が幸せで、誰にとっても素敵な未来なんてあるわけないとは思います。
 だからこそ、互いの思いを知り、各々の命と人生を大切に出来るなら、それこそが平和への近道だと思うのです。

 たかが小説、たかが文字、でも込められた思いはГたかが」と言いすてられない重さがあります。
 自分は、自分の活動の場で、若人達にそれを教え、いいえ気付かせたいのです。
 それが自分に出来ることだと思います。



 リテラシーも思いを読むも、今までも行ってきたことではあります。
 今さらと思わなくもないのですが、やはり常に決意を新たにしないと、どこかでマンネリすてき虫が巣を作ってしまうので、今夏も気持ち新たに秋への準備を始めます。

 準備の時間がもう少しとれる日々になるといいなと思うんですけどね。
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言い訳ではなく、現実をみる。

 年度末に向かうと、様々な締めの仕事が増えます。

 今年度はいつも以上にピリピリ感が強いです。

 なんかね、ミスがあると、そのミスの質や内容にかかわらず、大騒ぎをしたい方々が世の中にはいるんです。

 どこぞの総理大臣も、野次の中に根拠のない糾弾対象として「日教組」という言葉を何回もいれました。
 「日教組」は糾弾されるべき団体でも何でもなかったのにも関わらずです。

 そしてその日教組を支えている大勢のまじめな教員たちが、この時期、本当に夜を徹して、書類を作り、確認をし、書類を完成させ、記録として残します。

 その記録として残す対象かどうかを十分に判断せずに、さらに記載間違いを、認め謝罪し訂正してもなお、鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てたい方が、確かにいるんです。

 その方たちの常套句のひとつに「訴える準備はしている」があります。
 心の中では、「訴えてみろよ。笑い者になるのはそっちだぞ。」と唱えていますが、もちろん、そんなことは言えません。

 また、「傷ついた子供の心をどうしてくれるんだ。」も最近の流行り。
 これは教育側の不手際でなく、ルール違反に対する注意に対しての保護者のクレーム。
 でも、その子供の間違いを叱ったり、指導したりしたことでその子が傷つくのは、いわば自分の行動の当然の代償として受け止めるべきだし、その子以外の子供たちも、当然それを持って学ぶし、何より、誰かは許され誰かは許されないといった不公平感を持つことがなくなります。

 でも、その子の親たちは、自分の子供のみで考える。

 そして、教育現場は付け込まれるところがないようにするために、残す記録にはものすごい注意を払うこととなるわけです。

 川崎の中学1年生が、とても痛ましいことになりました。
 本当に胸が痛みます。

 でも、今不登校や心の不安定な子供たちの多くの原因は家庭にあります。
 学校や児童相談所では、来た子どもたちには対応し、相談にのり、助けるための手立てを講じることができます。
 でも、来ない子供はどうでしょう。
 家庭訪問を行います、何度も。
 親が、友人のところに行っているので心配ないと言えば、それ以上の踏み込みができません。
 助けたくともできないことは、確かにあるのです。

 今朝、たまたま朝のワイドショー的なものを見ましたが、そこでの識者たちの言葉は、先生たちに滅私して仁として子供にあたりなさい、学校という現場ができなかったことを振り返りなさいと責めの言葉を口にします。

 してますよ。先生たちは、月100時間近くの残業時間を教室外の仕事に使っています。
 登校しない生徒がいれば、電話連絡はもとより、家庭訪問をし、動かない家出少年の親に捜索願を出させ、ここに泊っているようだという情報を聞けば、その場に行き2時間でもその子の帰宅を待ったり、しています。
 労働基準法を全然守れていない先生たちがたくさんいて、その多くが、ものすごく真摯に、子供たちに向かい合っている事実があるんです。

 責めの言葉は誰に向けられるのでしょう。
 責めの言葉は、何かを変えられるのでしょうか。

 2月から3月、多くの記録書類を作りながら、自分たちの仕事の意味や、意義を考えずにはいられません。

トラブルの根っこは、それまでの小さな出来事の中にある

 この時期、毎年のように起きることが、今年も起きました。

 何か?
 それは、4月新しいチームになった中での、人間関係が不安定なことから起きる、言葉と思いのすれ違いです。

 特に、5月には体育的なイベントがあり、新しいチームはそのイベントに向かって頑張ろうとします。
 でも、チームの中、またはチームを率いる大人とチーム内の若人たちとの関係が、まだきちんとできていない時期でもあるので、そんなつもりでない言葉が、悪意を持って受け取られたり、全く異なった思いの言葉として受け取られたりで、表面的には言葉によるトラブルのように見えて、実は関係が出来ていないことによるトラブルが発生しやすいのです。

 頑張れという応援のつもりでかけた一言が、きつい、プレッシャーの言葉になったり、ちょっとした皮肉的な言い回しが、ものすごい否定的な言い回しに受け取られたり・・・。
 それは、大人と子供、子どもと子供という相手を限定しない状態で、突如起こります。

 しかし、表面的に表れたことは、実はその前からそうなりそうな要素を含んだ小さい出来事がたくさん重なって出てきたことでもあるのです。

 大人側も若いと、また当事者だと、自分の感情がフィルターになって、その小さなことが客観的に見られない。
 そして、原因を相手に求めたがる。

 偉そうなことを書いていますが、自分だってそうでした。
 そんなつもりで言ったわけじゃないのに、という思いから自分が進まない。
 どうして、それをわかってくれないのという、相手を責めているわけででなくとも、自分を見るより相手の不十分さを見るようなとらえ方から逃れられない。

 でも、ちょっと前まで当事者になりがちな立場から、大人のチームをまとめる立場に変わったら、そのトラブルが客観的に観ることが出来るようになってきました。
 うーーん、立場的見方や年を重ねるって、結構意味があるかもしれません。

 相手を思いやったつもりで言った言葉でも、気づかないうちに相手を傷つけ、相手の心が頑なになってしまう。
 今回のトラブルも、そんな感じのものでした。

 反省は、予兆に気付きながらも対応、対策が十分にできなかった自分です。

 さて、昨日は当事者同士による話し合いという解決の一歩を踏み出したのですが、解決にたどり着きませんでした。
 年長者のおせっかいと言われそうですが、本日は、傷ついてしまった側に、再度表面的な出来事以前の小さなトラブルを確認し、事態を納める方向にトライしようと思います。

 いずれにしても心の問題なので、一朝一夕に解決とはいきませんが、でも、手をこまねいて見ていることだけはしたくありません。

 自分も子どもの頃は、大人の思いが通じず、大人の表現に理不尽さを感じていました。大人は、なんで子どもの時のこんなつらい悔しい思いを忘れてしまうのだろうと、ずっと思っていました。
 今、気づきます。大人は伝える手間を、ほんの少し言葉足らずでのままに、相手が大人になればわかるだろうといった感じで惜しんでしまったんだろうなということに。
 自分は、その理不尽さをずーっと胸に残していたので、今回のことも、時間に任せた解決をしたくないと思います。
 解決にはならなくとも、傷ついたと感じた側の心に沿ってあげたいと思います。
 それは、言葉をかけた側にもいえます。
 そんなつもりでなかったのにと思った時点で、きっと言葉を発した側も傷ついているのです。

 調停がうまくいくかどうかはわかりませんが、まずは出来ることから。

 4月できたチームは、来年3月まで解体されることなく、様々なところでチームとして活動します。

 できれば、これがきっかけで、良いチームになっていってくれたらな・・・なんて、これは希望的観測かな。

 わかりにくい内容でしたね。
 でも、とりあえず調停がうまくいくことを祈ってください。



世の大人たちよ、どうでしょう

 ご無沙汰しています。

 自分、不器用ですから・・・って言いたいタイプの自分にとって、ちょっとしんどい7月です。


 前々から言っていますが、自分の職場の大ボスはちょっとずれている。

 いや、愛すべき隣人ではあります、ホントに。
 でも、仕事人となると、アナログ志向のピントのずれたおっさんになってしまう。

 で、指示されたことを手を抜かずに、大ボスのご希望通りにやろうとすると、これが大変なんです。
 
 おかげで、午前様になること数回。
 夕飯は、○ックのドライブスルーで買ったセットを車中で、なんてこと、かなりです。

 せっかく定期を買っているのに、退勤時間から終バスはもちろん間に合わず、終電ぎりぎりの時間まで仕事がかかることが見えているから、そんな日は車で通勤・・・・って、そんな日多すぎです。

 泣きたいほどがんばっているのに、早々に帰る大ボスから「体壊すなよ」なんて声かけられても・・・。

 がんばっている人に「がんばれ!」って言うのは逆効果って、よくわかります。

 でも、不思議。

 自分はそんな大ボスに反旗を翻し、(いや大したことではないんですけど)、手書きで作っていたものをパソコンで作る許可をゲットしました。

 でも、みんなパソコンで作りたぁーいって言っているのに、だれも後に続かないんです、
 「シチューパンさんがやっているので、いいのかと思って。」ってしれっとやってしまう、「彼女だけなんてずるいです!」と正面切って文句を言って権利をゲットする、どうせ大ボスはチェックをしないのだから、「手書きなんて知りませんでした。」としらばっくれてパソコンで作ってしまう。
 やり方はいろいろあるのに、だぁ~~~れもやらない。
 みんな、精神的マゾ?って思います。

 誰かが現状を変えてくれるのを、手を抜いたやり方で時を過ごし、待っている。

 いいのか、それで!?と、突っ込みたいです。

 自分たちは若者に未来へ続く道の基礎を教える商売なんです。
 知識を教え、応用へつながることを示唆します。
 その中には、世界を変える可能性があることも含まれます。

 おりしも、外では市会議員選挙の宣伝カーがうるさい。
 「うるせえなぁ」「もう選挙なんていらねぇ」という若人に、「ホントに?」から始めて、「議会民主制を社会で習ったよね。」とその意義を教える、「公約なんて破られるだけじゃん」という若人に、「公約の読み解くには、メディアリテラシーが有効なんだよ。」と教える。
 そして、考えさせる。
 「君たちの未来に、信用できない政治家が多かったら、どうするか。一人だけで戦えるか。戦いに勝利するためには何をすればいいか。」
 すると、永田町の政権争いの理由が見えてきたりします。

 教えるって、そういうことじゃないのかなぁ。
 
 そうして、教える側が、体制に従順で陰で文句ばかり言ってたら、若人は手本となる大人を持たないから、成長をしない、そう思うんだけどな。

 
 世の中、手を抜いても責められないと、それでよしとしてしまう人が結構いる。
 その人たちを責めるつもりはないけど、でも、戦争前の国って、誰かが変えてくれるのを待って、今を適当に流している、じっと我慢している人が多かったんじゃないのかなぁ。


 この国の、地球の未来が、心配です。

 でも、心配の大本は、子どもたちではなく、大人の生きざまにあるような気がします。
 
 ニッポン、どうでしょう。



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仕事を考える

 愚痴って言えば愚痴なので・・・・。

 仕事の愚痴を聞いても腹を立てない方のみ、どうぞ。





 

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NIE、世の中なんでも勉強ですね

 行ってきました、NIE。
 毎日新聞社主催の新聞活用の研修会です。

 やっているところはやっているんだなぁと、しみじみ感心しました。
 ここでも、自分に生かせそうなことをGET。
 学習はしてみるもんですね。
 9月から取り組む内容に幅が出そうで嬉しいです。

 にしても、この年になると、自分は今まで何をしてきたのかなと、ちょっとへこみます。
 いや、その時その時に、一生懸命取り組んでいたとは自負しています。
 努力もしてきたと思います。

 でも、この分野でというものを持っていないんです。
 広く浅く。
 自分はこの仕事を離れても続けていく何かがあるのかな・・と、ちょっと考えます。

 あんなに頑張っていたつもりの図書館だって、結局やったという自己満足のラインで終わってしまいそうで、作ったシステムだって継承されたのは1~2年だけ、その成果はどこからも評価されていない現状があります。

 NIE、図書館、演劇、なんかねと思うこのごろであることが、ちょっと情けない気がします。


 まあ、とりあえず、できることを誠実にという姿勢だけは持っていようというのが、自分の矜持かな。



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わからないことを認識が学びの一歩

 今週はお出かけばかりでちょっと忙しい。
 
 出張はそれぞれの内容ですが、そこでの話や活動を見ると、自分の勉強にはなっても職場のプラスに還元できていないことのいかに多いことかということや、井の中の蛙で話をしているかということを実感します。

 どうも、公務員は真面目だけど今の自分を壊して先に進むのはめんどくさいらしい。
 また、保守の立場で今の自分たちのやり方以外を知ろうとしなかったり、現状をどうにかしたいという、プラスアルファの大変さは背負い込みたくないようです。

 まあ、いいと言えばいいんですが、いいといってそれで問題のないことが問題かな。


 昨年から、自分の本業の中で自分の取り組みの一つは「わからないところを認識させる。」です。
 どこがわからないか、何がわからないかを明確にすることが学びの近道だと思うのですが、わかった気になって過ごしてしまうと、わからないことが場の問題となったときに身動き取れなくなってしまいます。
 まずは自分と向かい合って、自分の「わからない」を認識する。
 解明はすぐしなくてもいいんです。
 「わからない」を明確に持っていれば、時やタイミングで「そういうことか」という理解がもてます。
 「意識の認識」。単純だけど大切だと思うのです。

 でも、「わからない」ことはいけないことや、「わからない」なら今それに向かって理解しないといけないとか、姿勢を中心に思い込みがあって、「わからない」という言葉を出すことをしようとしない若人がいかに多いか。
 
 学びとは自分と向き合うことでもあります。
 椅子に座って講義を聴いて、黒板の字を写して・・・なんてのは十分なことではないと思うんですが。
 さて、どうなんでしょう。

 まあ、こんなめんどくさいことを考えてやっている仲間はいませんので、これも一人の取り組み。
 自分にうそをついてやりたくないので、頑張るってことですね。

 今年は演劇の方でも、自分も学びの機会を得て取り組もうと思っています。

 欲張り過ぎないようにと呪文を唱えながら、FIGHTですね。



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卒業式はシンプルで十分

 行ってきました、娘の高校の卒業式。

 いや、もうシンプルかつ定番。

 入場も「卒業生入場」の声で、威風堂々の音楽も何もない拍手だけの中の入場。
 教頭先生のお一人が司会進行だったのですが、さくさく進めて、即行「証書授与」。
 名前を呼ぶだけの、各学級の総代が証書を受け取るタイプだったので、これもさくさく進む。
 でも、誰一人として返事が聞こえない生徒がいないのが驚きと共に感心しました。
 校長先生の話は「告辞」、在校生からは「送辞」、卒業生からは「答辞」、保護者からは「謝辞」。
 最近は優しい「ことば」なんて言い方になれていたので、その話の内容も含めて漢語飛び交う表現に、「おおっ! さすが高校だ!」と妙な感心。
 プログラムに「唱歌」とあったのは、在校生の「蛍の光」と卒業生の「仰げば尊し」の、それぞれの二部合唱でした。
 前回書いたように、結構派手めの合唱中心かと思われるような卒業式を見ることが多い中、いまや中学では聞くことのなくなったこの2曲のシンプルでしみること。
 女子のきれいなソプラノが、またいいんです。
 若い担任の先生が多かったのですが、そのうちのお一人はこの歌で号泣。
 先生方と来賓は壇上だったので、特にその姿ははっきりと見えました。
 つられて何人もの先生が涙が止まらない。
 でも、その後の校歌斉唱まで生徒たちはきっちり歌い上げ、退場の際は生徒も涙の子が多かったです。

 最後のホームルームで先生が「いい式だったね。」と、ため息と共に言ったのに、保護者はみんなうなづいていました。
 シンプルだけど、いい式って心が通う式なんだなって改めて思いました。

 その後、ホテルで謝恩会。
 立食スタイルで、生徒・保護者・先生方入り乱れての会です。
 初めての試みだそうで、保護者会をサボっていた自分は知っている人がいないのでパスしようと思っていたら、娘からブーイングを浴びての参加。
 2/3の時間は、一人でもくもくとお料理をいただいていました。
 料理はまあ美味しかったです。
 生徒も一緒なので、ノンアルコール。
 娘を見つけて、一緒にお世話になった先生方にご挨拶しました。っていうか、担任になった先生以外は名前しかわからないので、娘にどの先生か聞いて付き添ってもらってって感じでした。
 英語科の教頭先生にご挨拶したら「娘さんはかなりユニークで」と言われ、もうその通りですというしかありませんでした。
 なんて言っても娘の卒業文集の一節には「遅刻の回数はもはや伝説。先生にモーニングコールまで打診された。」とあったくらい、出欠席に厳しい学校であったのにいいかげんだった娘です。
 「ご心配おかけしまして、おかげさまで」と言うのが親としては当然というものです。

 その最中に、それまでベースにしていたテーブルにいた方々に、桜(←娘のことです)の親だとわかった途端、「いやだぁ。桜チャンのおかあさんだったんですか!? 気付かなくてごめんなさい!」と不思議な反応。
 親は保護者会サボりまくりだったので、自分をわからなくて当たり前なんですが、なんか娘は妙に有名人だったことが発覚。
 みんなが「桜ちゃんのおかあさん?!」と反応するので、こっちがびっくりです。
 
 なんかね、好きなことでは一人でどんどんかっとんでいくのが、学級の中でも有名だったようで、各家庭では「あの桜ちゃん」で話題の主だったらしい。
 まあね、友人のお母さんが、娘と一緒にスケート見に行って(連れて行ってもらったとおっしゃっていました。)、エヴァン・ライサチェック(今回のオリンピック、男子フィギアの金メダリスト)に「君かぁ」と顔を覚えられていてなんて驚きましたなんて話を聞けば、普通はあまりないかもと思いますよね。

 帰宅後、記念品を見せてもらったら、さすが女子高、さすが私立、イニシャル入りのミキモトのリングでした。
 最も娘は「お母さん、使っていいよ。」なんて感じですが。


 特別なことは何もない式でしたが、しみじみと心に染みるいい式でした。
 行って良かったと思える式だったの何よりです。

 さて、娘のクラスは本日卒業遠足です。
 ANAの工場見学という、一風変わった行き先ですが、式の後のホームルームで先生の言葉にびっくり。
 娘の担任は娘のクラスがこの学校での初めての卒業生ですごく思い入れがあるそうなんですが、その表れの一つらしく、工場見学の後、銀座の焼肉屋さんでみんなに焼肉をおごるそうです。
 先生は、担任と担任と仲良しの(まるで二人で漫才のコンビのような感じでした。)お二人で、38人の女の子とはいえ食べ盛りの子達に焼肉をおごるとのこと。
 太っ腹と思いながらも、そうしたくなるような学級だったんだねと、今更ながらどんな学級だったかがわかるような感じでした。

 先生は、その後新橋の駅で待ってますので、保護者の方々と打ち上げをしましょうとお誘いをかけまくっていました。
 自分は仕事がありますし、保護者会にも参加しない人だったので、当然欠席ですが、そのお誘いの言葉に「若いなぁ。」ってちょっと羨ましさなんかがありました。


 さて、今年度の受験の最後の発表は週末です。
 吉とでるか凶とでるか、それもまた人生ということで。


 

テーマ:独り言
ジャンル:日記

新聞、作れる?

 久々の、本当に久々の更新です。
 「何で忙しいのか、自分」って突込みを入れたくなるような最近ですが、理由はわかっている。
 いろいろと妥協できないからでした。

 さて、妥協できない話として、今指導している新聞作り。

 自分は結構若い人を仕事で指導していますが、新聞を作るという作業をしています。
 いいえ、新聞は最後のまとめ。
 実は、書籍・PCで調べる、インタビューをする、それを簡単報告書にするという一通りを7時間くらいの時間を使って、行います。
 その後、そのノウハウを使って、指定された職人さんたちに対して、職業という視点で、調べる・インタビューする・まとめの新聞を作るということをします。

 この新聞が大変。
 いまどき、教えているチームの1/3は家庭で新聞をとっていません。
 しかも、教える側も複数で行っていますが、その側も新聞を作るという基本ノウハウを知らない。
 勢い自分がチームリーダーになってやるしかないのですが、教えている相手に対し丁寧に面倒を見ると、当初5時間の予定が10時間近くかかってしまうという状況に。
 しかも、事前にレクチャーしたつもりの、他の教える側の理解できていないことといったら、他のチームの新聞を見たら思わず「何を作ってンの!?」と声を荒げてしまったほどです。

 でも、仕方ないんです。
 小学校をはじめ、通常学校で習う新聞作りは、記事を書いたものを、原紙のなかに位置を決めて貼り付けて収めるだけのものが多く、レイアウトは壁新聞基準なので上から下へ読ませるための流れなんてありません。
 つまり、一つの紙の上に担当者の記事のブースがあって、縦書き・横書き・字の大きさを全く配慮せずに書かれているものが多いわけです。
 そこに、きちんとした形態の新聞を作ろうといったって、わかりませんという大人と子どもがほとんどになるわけなのです。

 そんな新聞を作ることに何の疑問ももたない、国語・社会・美術・広報委員会の先生方に、自分はいいのかと突っ込みたい。

 でもね、実際やってみると、紙面を作るときのポイントを実際の新聞を例に教え、一人一人に要所要所でチェックを入れ、記事がかけない子には写真の入れ方を教え、それだけやるとどんな子の新聞も見られるものになっていきます。

 実は自分は新聞が好き。
 教えるという点では、NIE(ニュースペーパーINエデュケーション 新聞を教育に)の活動にとても興味があって、講習会やら研修会にも結構参加しています。
 だからわかっていることが、他の人よりやや多いのかもしれません。
 が、どんな状況でも人に教えるという立場であるなら、教える側が学ばないとと思う自分がいます。
 そんなに給料をもらっているわけではない、忙しくて時間がない、好きでない、学ばない理由は様々だと思います。
 でも、教える人は仁であってほしいなと、自分は思います。

 どんな形態にせよ、教えるということは心の種まきです。
 新聞を作ることで、調べ方を学ぶ、インタビューの仕方を学ぶ、記事を書くことを学ぶ、読んでもらうためのものを作ることを学ぶ、そんなことを種まきできたら・・・・素敵ですよね。

 出来てきた新聞は結構いい感じ。
 今回、記事内容まで手を入れていないのですが、それは来年のお楽しみ(・・・・か?)。

 やってきた取り組みを見た方が、これが一過性の取り組みで終わることを大変残念がってくれました。
 でも、それは最初からわかっていたこと。
 打ち上げ花火のような取り組みでいいですかと、事前確認しての取り組みです。
 でも、やったことが子どもたちの心に残れば、それは種となり、何人かは芽吹き、花が咲き実がなる者もいるかもしれない。
 どんな内容でも教育は長----い取り組みなんです。

 大変さも自分でまいた種。
 後1週間しか仕上げまでの時間の猶予はありません。

 頑張れ、自分!
 頑張れ! 子どもたち!



 今月は演劇のチームの発表会が4月最初にあるので休みなしです。(;0;)
 ばてないように頑張ります。

 

テーマ:教育って何だ?
ジャンル:学校・教育

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